東なるせ歴史の道さんぽ
実施日:平成25年11月16日(土)
2回目となる東成瀬村ツアー。今回は、“歴史”に焦点を当てたツアーを計画した。
東成瀬村には、仙北道(みち)の入り口がある。この仙北道は、平安時代に切り開かれたといわれており、仙台藩と秋田藩の文化や物流を担う主要な道であった。明治時代以降利用されなくなった、幻の古道である。その仙北道をメインに、村内に数多く存在する神社や巨大な庚申塔も含めて、現地ガイドの案内を交えて訪ね歩き、楽しんでいただく内容とした。
7:30 秋田県庁出発、秋田駅東口経由で東成瀬村へ。
10:00 田子内橋 到着。
前回のツアー同様、まずは田子内橋を見学した。ここでは、現地ガイドの備前源一さん(エスコーター岳遊会)、佐々木友信さん(仙北道を考える会会長)が案内してくださった。
この橋は、昭和10年に木造橋から当時では珍しい強固な鉄筋コンクリートアーチ橋に建て替えられたことや、老朽化に伴う取り壊しの危機を乗り越えてこうして存在していることなどの説明があった。
10:30 不動の滝・小貫山堰 到着。
こちらも前回のツアー同様、不動の滝を見学してもらった。当日は晴天に恵まれただけでなく、紅葉と雪景色を同時に見られるという記帳な日となった。滝もより一層美しく見え、参加者からも歓声があがっていた。
今回は、東成瀬の歴史に焦点を当てたツアーであったため、滝だけではなく、滝のすぐ脇に見える「小貫山堰」についても紹介した。
小貫山堰は、地域の農業用水として貴重な水源となっている。村内の国道342号線沿いに、小貫井山八九郎正成という人物の墓があるが、この人物が不動の滝の裏側を通る、この穴堰の小路をたった一人で行ったといわれている。東成瀬村から横手市増田町に及ぶ地域の今の稲作があるのは、この堰があるからこそ。当時は小貫山を変わり者扱いして近づかなかったとされる村の人々も、現在では偉人として語り継いでいる。
ガイドの説明を聞いて、参加者たちも想像を絶する小貫山の九郎に思いを馳せていたことだろう。
11:05 平良山神社・地震石 到着。
伝統野菜「平良カブ」で知られる田子内地区の平良集落を訪れ、平良神社を見学した。
この神社は、延享元年(1744)建立で、山を司る大山祗神(おおやまずみのかみ)を祀っている。これは、平良地区には山仕事をする人が多かったためだといわれている。田子内地区には、他に天神社、下田神社、八坂神社、肴沢神社があるが、どれも素晴しい彫刻が施されている。
住宅地に何気なく存在している小さな神社が、よく見れば非常に精巧な造りに
なっていることに、参加者たちも驚いている様子だった。
本殿の四隅にある装飾彫刻を「木鼻」と呼ぶそうだが、なかでも「鷹木鼻(写真・左)」は珍しいとのこと。ほかにもたくさんの動物が彫られている。この神社は、金具を一切使わずに、木のみで造られている。「このような地域の財産を守っていくことが大事」と現地ガイドの佐々木さんはおっしゃっていた。
神社を出発し、バスの車窓から道路沿いにある地震石を見てもらった。これは、昭和45年10月に発生した「秋田県南東部地震」の際に落石した岩石で、「災害は忘れた頃にやってくる」という心構えを日頃から忘れないようにとそのまま残されている。地元では、「しゃれ(去れ)石」とも呼ばれ、道路をふさぐように落下した石に向かって、金剛様が「去れ!」と言うと、今の位置まで岩石が動いたとの言い伝えもある。
11:35 庚申塔・長渓山龍泉寺 到着
その後、バスは岩井川集落の長渓山龍泉寺入口に到着した。ここには、村内で最も大きな庚申塔がある。長渓山龍泉寺は、了翁道覚(現:秋田県湯沢市生まれ)が剃髪して仏門に入ったとされる寺である。了翁道覚は、12歳から14歳にかけてこの寺で修行し、のちに「錦袋円」と名づけた万能薬を調合し、多くの人を救い、その収入で全国に寺や図書館などの施設を建てた功績がある。ほかにも「福神漬け」を考案したのも道覚といわれている。
ガイドの方から興味深い話が次々と出てくるため、熱心にメモをとる参加者の姿もみられた。
12:10 まるごと自然館 到着。【昼食】
前回同様、昼食はまるごと自然館でとってもらった。地元のお母さんたちによる東成瀬流のおもてなしで、腹ごしらえをしてもらった。メインが芋の子鍋であることは変わらないが、前回の醤油味から今回は味噌味に変えてもらったので、前回のツアー参加者にも楽しんでもらえたと思う。
この日のメニューは、芋の子鍋、菊なめこ(なめこと菊を大根おろし和え)、ワラビの煮付け、ごはん、太巻き、漬物、りんごなど。
13:20 仙北道入口案内板、首もげ地蔵と手倉御番所跡 到着。
ここからは、女性の現地ガイド、谷藤広子さん(エスコーター岳遊会)に案内していただき、仙北道について学んでもらった。
仙北道は、手倉越とも呼ばれている。秋田から岩手の県境を通る、千年を超える歴史の道である。その起源は平安時代までさかのぼり、当時は戦いの道として開かれたが、のちに経済・文化・産業の道として賑わいをみせた、6里(24km)に及ぶ古道だ。
平成8年、東成瀬村で「仙北道を考える会」が、平成10年岩手県奥州市胆沢地区で「仙北街道を考える会」が結成され、歴史的な古道を通じて両町村の交流が現在も続いている。現地ガイドを担当してくださっている佐々木友信さんは、この仙北道を考える会の会長を務めている。
参加者たちも仙北道を少し歩き、“首もげ地蔵(写真=右)”にやってきた。名前だけ聞くと不気味だが、この地蔵には次のようなエピソードがある。
かつて、この地は仙台領と接しているため、関所と同じ役割を果たす番所があった。番所破りをした者は、処刑される直前に、地蔵様に手を合わせて念仏を唱えたそうだ。しかし、情の厚いある役人は、あるとき罪人の首を斬る代わりに地蔵様の首を斬ったという。そして、切り落とされた地蔵様の首は、沼に沈んで見えなくなってしまったそうだ。
不気味な名前で呼ばれている地蔵様だが、このような人情を物語るエピソードが隠されていた。
15:00 蛭川清水 到着。
ツアーの最後に、蛭川清水を訪れた。東成瀬にはいくつかの湧水スポットがある。ここ蛭川清水は、村の三大清水(ほかに五郎兵衛清水、栗駒仙人水)に数えられている。古来より旅人の憩いの場であったといわれ、湧き出る清水は夏でも冷たく、県内外の方が水汲みに訪れている。
参加者たちも、それぞれ清水を汲み、喉を潤していた。
17:10 秋田駅東口 → 秋田県庁 到着、解散